Twitterのすばらしさは、プロ、学生関係なく何でも呟ける、という点かと思います。そういった意見に耳を傾かせ、返事を書くこともTwitter利用者にとっては大事なことですね。Twitterというホモジニアスな世界が、肩書きを消す日が楽しみです。
そのTwitterの一部で盛り上がっているのが、建築家論議です。140字にはおさまらないので、ここに私の意見を書いておきます。
基本的に、日本の建築設計とは「造形学」であって、学校で建築家としてのビジネスを教える所は少ないようです。建築設計はあくまでも大まかな建築意図を示すものであって、見積もりや施工に耐えるものとは言えません。その裏には、もともとはマスタービルダーであった棟梁体質のつながりで出来上がったゼネコンというサポートがあるからです。
ゼネコンは「施工図」といいながら、設計事務所の建築意図を示した基本設計図を施工に耐える図面に引きなおしますが、これは海外の実施設計のレベルになります。もちろん、施工図承認を通して、建築家の設計意図は守られる訳です。ちなみに、米国の場合、施工図はゼネコンが施工をするために必要な図面であって、建築家の承認は契約法上、必要とされません。つまり、建築家の設計図のみから、100%施工ができないといけないのです。同時に、産業の標準化も米国は進んでおり、建具や家具についての施工標準さえ存在します。辞書のように分厚くすべてを指定した仕様書と、スタンダードという両刀によって、設計図から見積もられるコストにブレは少なく、施工中の質疑も非常に少なくなります。施工中のゼネコンのスタッフの数の異常な少なさを見ても、設計図にすべての情報が盛り込まれている、という事実が見えます。
米国の良さは、このように職能が細かく分離しているので、責任のありかが明確であるという点です。そして、建築家、コンサルタント、CM、施主、ゼネコンがすべて契約法上対等に仕事をして、それぞれの仕事にプロとしての責任を持つ、という意味があります。
日本は職能の確立という意味では遅れており(これは恩師の鬼頭先生が生涯訴えてきました)、建築家に限らず、建設業界の誰もが責任を曖昧にして仕事をしてくる、という怠惰の温床になってしまいました。ゼネコン汚職、神戸の地震で明らかになった手抜き工事、偽装耐震設計、そしてなによりも施工のベースとしてしっかりとしていなくてはいけない設計が安定しておりません。ここで、CMだ、PMだ、ファストトラックだ、GMPだ、と海外の契約方法や、名前だけの職能を持ってきても解決には至りません。実際にCM、PMと言いながら、下請け叩きのみをする会社や、単純に設計者の設計を手伝う施工会社だのもあるくらいです。
フォローだけしておくと、マスタービルダーという考え方は決して悪いものではなく、日本型の建築家が基本設計をして、施工会社が実施設計をする、という形はアリかと思います。しかし、海外の設計事務所と型を並べ、職能の確立を求める建築家は、大学の建築設計の授業まで戻って改善を求めなくては、これは成り立たないでしょう。
米国の建築家は「弁護士の頭を持て」といわれます。たとえば、照明器具を天井から支持するための構造ディテールが抜けていて、ゼネコンが勝手にこれを設計したとします。それで照明器具が天井から落ちて下にいた人を怪我させた場合、牢獄に行くのは建築家になります。日本と比べて、米国の設計費用が高価なのは、保険だけでなく、構造、音響、機器、防水など専門のコンサルを全部雇って設計するからなのです。日本でそういった実施レベルの責任を果たし、その分の利益を上げてきたゼネコンが、この責任を建築家にシフトする可能性は非常に少ないと思います。
最後に、日本の造形としての建築設計は世界のトップレベルにあります。逆に弁護士の頭を持つ必要のない日本の建築は、自由で創造力にあふれています。こういった特性に注目して、現実的に日本の建築の進む未来を考えてみたいと思います。
とり急ぎ。