マスターストーリーテラーと言われるだけあって、オリバー・サックスの本は何を読んでも面白いし、誰にも人気です。ドクターなのに情が厚いので、淡々と患者の状態を書いているようでいて、ヒューマニティに溢れているのが特徴です。映画「Awakenings]でロビン・ウィリアムが演じたドクターです。
世界、時間、というものは脳という媒体が表現するものでしかなく、物理的意味を成さないが無い、というのが最終的な結論なのではないかと思います。言い換えると、「物理的」と我々が信じているモノは脳による幻影以上のモノでは無いのです。
例えば、記憶が短時間しか続かない患者が居ます。何分ごとに、同じ話を繰り返し、この症状が始まった20代の自分から抜け出すことが出来ないのです。人生のほとんどを盲目で生きてきた人が、視力を取り戻した話もありました。遠近感や、色、影、という理解が出来ないため、目の前を様々な色が飛びまわっているようにしか見えないそうです。嗅覚を失った人は、盲目と同じくらい生活しにくくなります。色を視覚から失った人は、白黒にしか見えない食べ物を美味しく感じません。神経が繋がっているのに、一度怪我をして動かなくなった足が、脳が治った足を認めず、なかなか自分のものに戻らず苦しんだという経験を著者自身も持ちます。
こういった話を総合的に読むと、自分がいつも気にして動き回っている時間や物理的価値が強烈にブレてきます。記憶は「現在の」自分の脳によるイメージの創造でしか無く、過去の事実とは直接関係がありません。自分が見るもの、聞くもの、全てが脳というメディアの仲介、投影でしか表現されないという限界を知ります。そして、最後に気づくのは、この脳の精度、機能の程度の違いしか存在しないという点です。
自分が「外的要素」として頼り、仮定していた物理的事実が想像でしか無いと、どうしてもロジックや数学のような隙のない世界に自分を置きたくなりますね。時として自閉症と判断された人が数字に異常に強くなるのも、実は自然な行為なのかと思います。数字が色で見えるようになるというのは、実は脳の構造からすると全く自然に起こりえることなのです。
オリバー・サックスの本を読んだ後は、つき離された気分ですが、同時に世界の見え方が変わり、突然自分の身が軽くなったような清清しい気持ちになります。自分がこだわってきた物理的な世界は実は自分個人の世界でしかない、という孤独感が実は大事なのかもしれません。