やたら米国で乱用されている「チームワーク」という言葉がとても嫌いです。
米国は実力主義、成果主義の世界。相手を蹴落としてでも自分の成果を上げようという競争がビジネスの原動力です。そういった社会で「チームワーク」という言葉は反意語のようなものです。
しかし、今はどの会社でも「うちはチームワークが強さです」と平気で口に出しています。その意味を説明してほしい、と聞くと、ほとんどが説明をできない状態です。中には「協力し合うこと」と説明しましたが、その「協力」という数値になりにくい効果を測るのはほぼ不可能では?
つまり個人の出す「結果」と、良いコーポレート・シティズンであることの「協力」とは反対のメッセージであって、会社は深くものを考えず、社員をダブル・バインドしているのです。「チームワーク」というコンセプトは実力社会の米国では実はかなり不健康なコンセプトでもあるのです。
ただ、「チームワーク」という言葉が乱用される本当の裏には、会社は成果でなく、他人を助け合う社員を歓迎する、という美談によるマーケティング効果があるのです。チームワークという言葉が使われるだけで、非常に会社のイメージはヒューマンになりますし、ナイーブな社員はだまされやすい。クライアントもまるで契約、契約といわない温かみのある会社と仕事をしている気になってしまいます。
会社が、プロジェクトごとに利益を計算するアカウンティングを進め、その利益率から社員の能力を測るような方式をとっていたり、数百ページになる契約書という重箱の隅をつついて仕事をしている限り、チームワークなど存在しないのです。
最後に、本当のチームワークに必要なのは「リスクをシェアする」ということです。「助け合い」は表層であって、チームワークの根拠とは関係がありません。本当に社員同士、または会社とクライアントが同じリスクを背負って仕事ができるような環境がなければ、真のチームワークなど絶対に存在しないのです。
もちろん、そういったビジネス・モデルや契約方式が無いわけではありませんが、米国社会で受け入れられにくいのが実際です。