ブラックスワンで出された例が、「起きた問題を解決することは評価される社会だが、起こるかもしれなかった問題を事前に防いだ功績を評価するシステムが無い」というもの。
ます、問題が起きる背景について考えます。
米国の会社の多くが、プロジェクト・ベース・アカウンティングを行っています。つまり、プロジェクトごどにプロフィット・ロスを計算するというもの。プロジェクトの利益を最大にするためには、コストを削減するのは基本なので、プロジェクトチームのサイズは最小として、かける時間や費用を最低にするのが当然の手法として選ばれます。
すると、ここで大事なのは、「最低限」の労力をかけるということ。そして、最低限の労力をかけるためにはたどり着きやすいゴールを最大公約数的に決定して、統計学的に可能性の低いリスクは切り捨てて考えなくてはいけません。
しかし、この手法が破綻したのが、タレブの指摘にあるように切り捨てられた起こる可能性の低いリスクほど、起こった場合に致命的な影響を与えるという現実です。今回の経済危機がその例です。
米国の効率ベースのビジネスは確かに無駄が少ないし分かりやすいのですが、現在の状況は不確実性がさらに高まっており、この簡略化された手法は有効で無くなってきています。つまり、明確で到達しやすいゴールに至るには、方法論で解決出来たのかもしれませんが、リスクマネジメントが第一というトレンドで、今までの方法論は使えないのです。
米国の大学教育が良い例で、授業の最初に手渡される「シラバス」どおりに書類を提出して試験をこなせば、良い成績は保証されます。本当に授業を通して本質的に内容を理解したことを測るのは難しいですし、米国はそういった本質的な理解を求めてないのです。現実として、例えば、プロジェクトマネジメントも高度に手法化されているので、方法論的に仕事をすることが出来れば、それで良かったのです。ビジネススクールがその良い例かもしれません。現実社会は、簡略化された方法論で最大公約数的により多くの問題を解決することが大事なだけです。
現実の社会では、問題の本質はもっと複雑ですが、効率優先社会は本質的な問題解決を避ける傾向にあります。繰り返しますが、これが経済危機の原因であったのです。例えば、普通の人よりも30%時間をかけるエンジニアは、「非効率」なエンジニアとしてレイオフの対象にされたりしたわけです。しかし、その30%時間をかけたエンジニアは、実は求められている結果以上の価値を生み出そうと努力していたのかもしれません。例えば、壊れるかもしれない部分のテストを普通以上に行っていたり、詳細を二度でなく三度確認していたのかもしれません。しかし、そうやって「本当に良いものを作ろう」とした態度とそれに使った時間は、今のビジネスでは「非効率」として切り捨てられます。
切り捨てられたエンジニアは、実は将来に起こるかもしれない問題についてより深い考察をしていたかもしれないのですが、定量化社会のアメリカではアウトライヤーとして闇に葬り去られていたのです。これは、エンジニアだけでなく、全てのポジションにあてはまるといえます。米国ビジネスのアウトライヤーの切り捨てはもはや犯罪的なレベルまでなっており、この不景気で真剣に今までのビジネス方式の見直しが必要になっていると思います。というより、統計学的に「現実を切り捨てる」やり方を変えないと、必ず近々に経済危機が再び起こります。
トヨタに限らず、致命的なリコールというブラックスワンの裏には、ヒューマンエラーでなく、構造的な問題が隠されているのが実際だと思います。どんなにピア・レビューだの、別の方法論をかぶせても、この問題は解決しないと思います。繰り返しますが、欠けているのは「現実」なのです。
最近ジャーナリストで自分が尊敬する瀧口範子さんにお会いしました。瀧口さんは、建築やITについてするどいジャーナリズムを展開している方です。瀧口さんが、最近は若い人が、ビジネス手法だのマーケティング手法だのを無視して、非常に原始的に物事の本質に関わる議論を始めている、というお話をされていました。例えば、「毛糸がどの羊から来ているのか、どうやって毛糸は出来るのか、自分で作ってみる」などという内容です。これは、グローバルレベルで簡略化された教育、ビジネスが本質を失って一人歩きしていることへの反発に見えました。アメリカの学生は未だに「不動産の方が金が儲かりそうだ」だの「グリーン産業を餌にする」だの商業的なことしか言えない中、他の国の学生は「環境」というスローガンのような「ビッグ・ワーズ」を口に出すこと自体を嫌い、もっと現実と自分をつなぐため、自分の感覚や信念を信じた活動をはじめているというものです。
クラフトマンシップというのは、素材から製品までプロセスとして現実という全体を見ていないと出来ない作業です。実は工場で、淡々と何十年も部品を設計して作っているような人が、現実感から、物事の「仕組み」を本質的に理解しているケースが多かったりします。方法論でなく、「実際」への移行がここに見えてきたようです。
これは、私が大工の友人と会話をした時もそうです。私はスケジュールの遅れを許さないプロジェクトのマネジャーで、若かったこともあって気がついたら、「出来ることしか出来ない」と言ってスケジュールを守らない大工の友人を怒鳴っていたことがありました。彼は、私を現場に連れ出し、巨大なハンマーを私に手渡し、「このアンカーボルトをコンクリートに打ち込んでみろ。その怒りをぶつけろ。」と。もちろん非力な私には10分でなんとか一つのアンカーを壁に打ち込むことが出来たのです。変な体勢で打ち込むので、疲れも出ますし、安全な作業でもありません。大工の彼は、私のハンマーを奪うと、器用にバシバシとアンカーを打ち込んでいきます。そして、「思った以上に大変だろ?俺は自分で一番効率良く、安全に、そして正確にこの作業に誠心誠意打ち込んでやっている。お前のスケジュールで無理に仕上げることも出来るが、間違いも事故も起こる可能性がある。俺の仕事が遅いと思うなら、いつクビにしてくれても良い」と。また、彼はアンカー打ちはうるさいので、金曜日の午後、週末そして、早朝を使って行っていました。建物の利用者に迷惑をかけたくない、という考慮です。これでは作業量も上がりません。また、近くを歩行者が歩いている時は、作業を一旦停止する、という気遣いまでしていました。彼の部下も彼を慕い、結束力の強いチームで仕事をしていました。それこそ、週に一度はランチに連れ出したり、自家製のビールを奢ってあげたりしていました。彼は、このチームで作業をする事を好み、ロスタイムを効果的に減らしていました。
こういった人間を、会社のスケジュールや会計から見ると「効率が悪い」「人を遣いすぎ」。ただ、例えば彼のチーム3人で2日で仕上げた作業が、2人なら3日以上かかったかもしれないのです。それを測るシステムが今のビジネスにはありません。もっと言うなら、1人以上で行った作業は必ず1人で行う作業よりも効率が悪く見えがちなのです。加えて、彼のクライアントへの気遣いがマーケティングとしての効果を持っていても、それを測るシステムもありません。安全にこだわる彼の作業方法は、事故を事前に防いでいたのかもしれませんが、それさえ測るシステムがありません。彼はいずれ切り捨てに会い、今の行方は不明です。